二〇二五年五月某日

(火曜 荒天 寒)

大荒れの天気。雨音が煩い。朝食は食パンと大根サラダ。テレビを点けたら「ラヴィット」で先週に引き続いてビビる大木いじりが続いていて、何だか見入ってしまった。50歳を過ぎて、他人からいじられて2時間近く番組をもたせるというのは、結構な魅力なのではないだろうか。ただ、もっとも、「ラヴィット」ぐらいでしか、ビビる大木の魅力を出せないのではあるが。社長シリーズに出てきそうな不器用な中年としていじるには、麒麟川島若槻千夏アインシュタイン河合モグライダー芝のような腕っこきがいないと無理で、基本的にはビビる大木をソツなく進行するのが上手なひとである。その昔アンタッチャブルの二人が述べていたように、若いころは、ミニコーナーの進行が天才的に上手だったタレントである。いま、「ラヴィット」にはビビる大木とアルコ&ピース酒井という「元・天才」が、ブラックホールのように機能して、番組を成立させている。

テレビからラジオに切り替えながら、昨日物置から掘り出してきた書籍を非解体で電子化。

『別冊ぱふコミック・ファン巻頭特集しげの秀一』(1996年06号) 橋本みつるインタビュー(ぼかし済)

筒井康隆に関する先行研究を電子化しつつ読んでいたのだが、この作家は「SF」というジャンル小説から中間小説へ、中間小説から『虚人たち』で純文学(の文壇のド真ん中に)向かっていったのだが、当時にしてSF内部からそのことを批判する文章があったというのは気づいていなかった。前衛作家のように語られているけれど実際は三島由紀夫のように古風なスタンスで、書いているものは木村毅の教えに忠実なかんじというのが、漠然とした作家・筒井康隆への印象である。

電子化の作業中テレビを点けているとニュースとして報じられているのは川崎のストーカー殺人事件と全国で連続して多発している飲酒運転の事故。飲酒運転でバスと衝突しているのが、この数日で2件はあった。こうした交通事故のニュースは以前からも一定数あったと思うのだが、監視カメラが多く設置されている状況では以前ほど逃げおおせられるわけもないのだし、その映像も見た直後であるのに、こうも連続して起こっているのを見ると人間の愚かさというのは治しがたいと感じる。

あとトランプがAIが自身をローマ教皇になぞらえた画像をAIが作ったことで自分は関知していないとのことだが、そんなことしかトランプに言わせることができないホワイトハウスの報道官たちはみんな首にしてAIに置き換えても変わりがないのでないか。

マツコの知らない世界」。特集は秀和レジデンスのヴィンテージマンション。西荻窪に住んでいるころ、よく仰ぎ見たが、やはり綺麗だった。このあたりのマンションは丸井がまだデパートではなくて月賦屋としてのほうで有名だったころの建物だったのでないか。東海林さだおがそのころのことを語っていたことを思い出した。

風呂から出たら眩暈がした。気圧が大きく変わったのか、くらくらする。そろそろ眠る。

二〇二五年五月某日

晴天。昨夜遅かったので七時過ぎに起床。連日どおりトランプ政権のニュースをテレビで報じていた。新鮮味なし。ラジオに切り替えて部屋片づけ。ゴールデンウィークということもあってレギュラー番組が休止していることもあるが、「パンサー向井のふらっと」はいつも通り。滝沢カレンの代打にヒャダイン佐藤栞里が出演しているのだが、見方によっては文化放送ニッポン放送の地上波がないひとたちが、気楽に話しているかんじ(ヒロユキMc-Ⅱの使い方が変わって、構成作家の矢野了平が出演する時間もできて、いっそうと文化放送A&Gっぽくなったというか)。

ニッポン放送で「ラジオショー」の代わりに佐久間宣行トンツカタン森本の番組を放送していたのだが、佐久間宣行氏だってレギュラー番組が多くて忙しいはずなのに、なぜ……と思った。

非解体スキャナーを使って引用したい箇所を画像化。しかし十返肇饅頭本をスキャンしている連休とは何なのだろうか。

テレビを点けると原田知世がビールのCMに出演していた。相変わらず綺麗だった。

バッテリィズ・エース、原田知世のおでこにいたずら書き!?異色のCM初共演! 「オールフリー」ブランド 新TV-CM

youtu.be

日記

昨日5/9に永六輔氏がラジオ番組を降板したことが報道された。わたしが『「テレビリアリティ」の時代』という本を書いた時、テレビが始まるころから現代までコメントをしつづけているのは小林信彦氏と永氏ぐらいで、このひとたちの著作を目を皿のようにして読み続けた。本の内容は図式化すれば、アドリブ(生放送)を重視する萩本欽一と、よく構成されたネタを重視していた永六輔の対立を描いたものである。自然と永氏のことを敵役のように描いた。お笑いタレントが大手を振る現代のテレビは萩本欽一なくしてはありえない。だが、実は本では最後の最後に、テレビというものはインターネット登場後、若者が熱中するようなサブカルチャー的な役割を奪われるから、永氏が研究し構築しようとした、普遍的な内容が求められるだろうとまとめている。「上を向いて歩こう」の歌詞。時代と寝たというよりは、いつの時代とも寄り添うような歌詞。一九五〇年代から六〇年代にかけて、日本のテレビ黄金時代においては、そのような普遍的なものが追い求められていた。まだ、テレビ局のプロデューサーが構成作家たちに「あなたには日本のオスカー・ハマースタイン二世になってほしい」と口説き、世界の一流文化と伍すべく、無我夢中になっていた時代だった。

 

著書を書き終えたのち、永氏には敬意を払うべく、献本をした。献本の宛先がわからなかったので当時十年以上続いていたレギュラー番組「土曜ワイドTOKYO 永六輔その新世界」を放送していたTBSラジオに送ってもらった。

 

永氏からは返信の葉書を頂いた。リスナーの誰にも返信を書くことで有名で、老体に鞭打たんとする永氏を外山惠理さんが止めていたこともよく知られていた。だから、返信があっても不思議ないことではあったし、日本中(世界中?)で永氏の葉書をもらったひとは大勢いることだろう。

 

わたしもその一人だ。そして、この葉書はわたしの数少ない宝物である。

日記

目覚める。朧気にしか醒めないがために朝食は摂らず。中央線は遅延。職場。昼食はニラレバ炒めと酸辣湯。仕事。午後二時ごろより雨が降る。夕食はカップ麺の日清の即席担々麺。帰宅。ポテトサラダを栄養価を考えて食す。『中世の刻印』を読む。テレビは低調。なんたることか。念には念を、と思って『メタフィジカル・クラブ』を再々読。良い本である。坂田靖子『ライアンの娘』を読もうかと思ったが、力及ばず。そろそろ眠ろうと思う。就寝用のラジオとしては『鷲崎健ヨルナイト×ヨルナイト』を掛け続けるつもり。

日記

早朝七時に目を覚ます。これといって驚きのない朝。ニュースもない。ぼうっとして何度か二度寝を試みるが歳のためか眠れず。「ワイドナショー」を視る。「笑点」について触れた以外はこれといって特筆すべき点もなく、茫洋とした内容。昼食を摂りに出かける。ピザ。マリナーラ。永江朗『セゾン文化は何を夢見た』や中世神学書を買う。Projectによってビールを飲む。帰宅。「笑点」を視る。ヒロシと毒蝮三太夫がゲスト。見どころいっぱい。夕食はもりそば。暑い日だったので塩分が欲しかった。T・S・エリオットの文学的なエッセイを読む。ユダヤ人差別に胸糞が悪くなる。「真田丸」を視る。面白い。「真田丸」は「ひとは誰からしらの役割を演じなくてはならない」というテーマで描かれている。というわけで若手ビジネスパーソンとしての真田幸丸である。人を立てたり立てられたり。入浴。気づくと橋下弁護士が出演している「行列ができる法律相談所」。これといって面白みもなし。人を揃えてこれだけ盛り上がらないというのはタレントとしては大変だ。みな気を使って使い方に困っている。調べ物を書き終える。これにて一日が終わり。しかしテレビが低調だ。日本テレビは落ち込み方が激しい。これまで好調だっただけに露骨である。