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日記

蓄積疲労で余り動けず。エリオット『四つの四重奏』を読む。『昭和芸人 七人の最期』を読む。食欲もわかずキャベツばかりを食べる。「トットてれび」を見逃す。

拙著が引用されていたと知り、明日にでも手に入れて目を通さねばと思う。

日記

昨日5/9に永六輔氏がラジオ番組を降板したことが報道された。わたしが『「テレビリアリティ」の時代』という本を書いた時、テレビが始まるころから現代までコメントをしつづけているのは小林信彦氏と永氏ぐらいで、このひとたちの著作を目を皿のようにして読み続けた。本の内容は図式化すれば、アドリブ(生放送)を重視する萩本欽一と、よく構成されたネタを重視していた永六輔の対立を描いたものである。自然と永氏のことを敵役のように描いた。お笑いタレントが大手を振る現代のテレビは萩本欽一なくしてはありえない。だが、実は本では最後の最後に、テレビというものはインターネット登場後、若者が熱中するようなサブカルチャー的な役割を奪われるから、永氏が研究し構築しようとした、普遍的な内容が求められるだろうとまとめている。「上を向いて歩こう」の歌詞。時代と寝たというよりは、いつの時代とも寄り添うような歌詞。一九五〇年代から六〇年代にかけて、日本のテレビ黄金時代においては、そのような普遍的なものが追い求められていた。まだ、テレビ局のプロデューサーが構成作家たちに「あなたには日本のオスカー・ハマースタイン二世になってほしい」と口説き、世界の一流文化と伍すべく、無我夢中になっていた時代だった。

 

著書を書き終えたのち、永氏には敬意を払うべく、献本をした。献本の宛先がわからなかったので当時十年以上続いていたレギュラー番組「土曜ワイドTOKYO 永六輔その新世界」を放送していたTBSラジオに送ってもらった。

 

永氏からは返信の葉書を頂いた。リスナーの誰にも返信を書くことで有名で、老体に鞭打たんとする永氏を外山惠理さんが止めていたこともよく知られていた。だから、返信があっても不思議ないことではあったし、日本中(世界中?)で永氏の葉書をもらったひとは大勢いることだろう。

 

わたしもその一人だ。そして、この葉書はわたしの数少ない宝物である。

日記

目覚める。朧気にしか醒めないがために朝食は摂らず。中央線は遅延。職場。昼食はニラレバ炒めと酸辣湯。仕事。午後二時ごろより雨が降る。夕食はカップ麺の日清の即席担々麺。帰宅。ポテトサラダを栄養価を考えて食す。『中世の刻印』を読む。テレビは低調。なんたることか。念には念を、と思って『メタフィジカル・クラブ』を再々読。良い本である。坂田靖子『ライアンの娘』を読もうかと思ったが、力及ばず。そろそろ眠ろうと思う。就寝用のラジオとしては『鷲崎健ヨルナイト×ヨルナイト』を掛け続けるつもり。

日記

早朝七時に目を覚ます。これといって驚きのない朝。ニュースもない。ぼうっとして何度か二度寝を試みるが歳のためか眠れず。「ワイドナショー」を視る。「笑点」について触れた以外はこれといって特筆すべき点もなく、茫洋とした内容。昼食を摂りに出かける。ピザ。マリナーラ。永江朗『セゾン文化は何を夢見た』や中世神学書を買う。Projectによってビールを飲む。帰宅。「笑点」を視る。ヒロシと毒蝮三太夫がゲスト。見どころいっぱい。夕食はもりそば。暑い日だったので塩分が欲しかった。T・S・エリオットの文学的なエッセイを読む。ユダヤ人差別に胸糞が悪くなる。「真田丸」を視る。面白い。「真田丸」は「ひとは誰からしらの役割を演じなくてはならない」というテーマで描かれている。というわけで若手ビジネスパーソンとしての真田幸丸である。人を立てたり立てられたり。入浴。気づくと橋下弁護士が出演している「行列ができる法律相談所」。これといって面白みもなし。人を揃えてこれだけ盛り上がらないというのはタレントとしては大変だ。みな気を使って使い方に困っている。調べ物を書き終える。これにて一日が終わり。しかしテレビが低調だ。日本テレビは落ち込み方が激しい。これまで好調だっただけに露骨である。